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 お稲荷さんをまつる神社で、全国的に2月の最初の午(うま)の日やその前後に、一年の商売繁盛などを願って行われる行事が「初午(はつうま)祭」です。しかし、どの神社でも行われるわけではなく、善光寺周辺では、淀ヶ橋の「樋下(ひのした)稲荷」など数か所のようです。

 今年はたまたま2月3日が、2月最初の午の日でした。節分と同じ日だったわけです。

 2月3日午前10時から西後町の「仲町(なかまち)稲荷」で、初午祭が行われ、お参りに行ってきました。場所は、朝日八十二ビルの北側です。仲町というのは、善光寺表参道(中央通り)の朝日八十二ビル北側から西に入って、犀北館に突き当たる道のことです。鳥居も標識もふだんはありませんので、気づく人もほとんどいない小さなお稲荷さんです。

 参列したのは、八十二銀行本店や、朝日八十二ビル内の八十二銀行長野支店やテナント、周辺商店などの方々です。もともと、この地には八十二銀行の本店があったことから、岡田町に本店が移転した現在でも八十二銀行では、このお稲荷さんを守り、信仰し続けています。
 
 このお稲荷さんは、江戸時代には、現在では東後町にあるかつおぶし屋「能登重」の屋敷神だったと伝えられています。しかし、私の先祖の屋敷神だったという説もあります。小林家は、江戸時代、西後町で商いをしていました。

 昔は個人のものだったお稲荷さんが、長野県を代表する企業によって守られているのは不思議です。そうなるまでには、このお稲荷さんを盛りたててきた、まちの人々の多大な努力があったはずです。かつては権堂の芸妓さんもお参りに立ち寄ったという話を地元の方から聞きました。

 でも、これまでのすべてを知っているのは、もう神様だけでしょう。

 お参りしたら、お種銭をいただきました。銀行の方からいただけるのは、何とも嬉しいですね。来年は、ぜひ皆様もお出かけください。

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 正月のお飾りを燃す時期がやってきました。

 善光寺境内で「お焚き上げ(おたきあげ)」が行われた1月15日(日)、私が暮らす問御所町でも、恒例の、どんど焼きが公民館前で行われました。TOiGO(トイーゴ)SBC棟の北東側です。

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 問御所町は、1月1日現在、53世帯115人しかいません(それでも西之門町の3倍はいますが、東之門町よりも少ない)。出されているお飾りの数は、わずかです。
 「前より減ったなぁ」と声。それもそのはず。問御所では、どんど焼きを昔から15日に続けていますが、近隣の町が15日より前の土日祝日に早めてやるようになったため、そこに出す人もいて、問御所のどんど焼きのお飾りは、ますます減ったというわけです。

 私も含めて、来たのは、大人ばかり5名。茶碗に並々とお神酒をいただきつつ、午後2時から30分ほどで、完全に燃えました。

 どんど焼きは、そもそも、門前町周辺では、どの町のどの場所で行われ、行われる日時や集まる人の数などは歴史的にどう変わってきているのでしょうか。興味深い研究テーマです。

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 12月8日、善光寺から南に1kmほどの表参道沿いの町・問御所の小路にある長屋に引っ越してきました。百年以上前に造られたという土蔵づくりの建物です。
 リフォームされているので昔ながらの面影は少ないのですが、2階の天井には長い見事な梁(はり)が残されています。

 我が家のスペースは、もともとは、魚屋だったそうです。まちの人々の暮らしを支えてきた魚屋さん。この建物にも、たくさんの物語があるのでしょう。

 ご近所には、大正時代創業のお茶屋さんや自転車屋さんがあります。

 これからは、身近な暮らしの視点から、門前町の歴史を探っていけるのではないかと楽しみです。

 今年も門前の多くの皆様にお世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

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 門前の周辺にかつてあった温泉(鉱泉)の遺構は、現在では
あまり残っていません。

 塩沢鉱泉の建物の基礎部分の跡は、現在、ある住宅の敷地内に
あるのですが、個人のお宅ですので、ご紹介するのは遠慮したいと
思います。

 狐池の諏訪神社には、その名も、狐池と呼ばれる小さな池が
あります。ここは「善光寺七池」の1つにも数えられています。
 その池を見ると、なんとなく水が白色に濁っていて、ただの
水ではありません。この辺りに湧き出す水が独特の成分を含んで
いて、かつて狐池鉱泉として利用されていたことを想像させて
くれるのです。

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諏訪神社境内にある狐池

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 長野郷土史研究会会員の古畑和男さんが本を出版されました。
『善光寺門前町と防火水路  世界に類を見ない「畳差し」』です。

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 安茂里在住の古畑さんは、もともと西之門町のご出身で、今年
80歳。10年ほど前から、生まれ育った門前町の防火水路の研究
をしてこられました。

 この門前町は、たび重なる火災から、いかに善光寺を守るかが
課題でした。そこで町中にはりめぐらされたのが(特に明治24年の
大火後)、この本のテーマである防火水路でした。

 また、緊急時には、畳(たたみ)を防火水路に挟むことで、水をせき
止め、水をくみ出して消火するという行為が行われました。建設部門の
技術者として働いてこられた古畑さんは、この「畳差し」を、世界に
類を見ない知恵と技だと指摘されています。

 古くからの防火水路には、現在も残っている所があります。
その水源である善光寺の北側の池も、かろうじて残されています。
でもそれが、文化遺産としては、まだまだ意識されていないのは
残念です。
 
 古畑さん、門前町が未来に向けて何を伝えたらいいのかの指針と
なる貴重なご研究をまとめていただき、ありがとうございました。

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