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 2017年1月29日、竹風堂大門ホールで行った「長野郷土史研究会」の総会記念行事で、「長野の絵解きを広める会」が発足しました。

 詳しくは、こちらの「小林玲子の善光寺表参道日記

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 長野には、絵解きという文化があります。長野県北部には全国的にも見ても、絵解きの文化がよく残っている稀な地域です。全国に広く知られる善光寺の存在や、信仰が暮らしの中に根ざしてきたことが理由かもしれません。

 絵解きは、絵を指し示しながら、お寺のいわれや、伝説などをお話しします。日本のアニメーションのルーツも絵解きにあると言われますが、しだいに忘れ去られてきています。

 長野郷土史研究会の呼びかけで発足した「長野の絵解きを広める会」には、長野市、飯綱町、須坂市の計12寺院と4民間団体が参加しました。

 このうち、善光寺とその界隈の寺院や、団体は以下のとおりです。(順不同)

往生寺(往生地)

かるかや山西光寺(北石堂町)

善光寺大勧進

善光寺淵之坊

善光寺吉祥院

長野郷土史研究会(善光寺事務局講堂などで絵解き) 私も絵解きを始めています。

 

 このうち、往生寺やかるかや山西光寺は、参拝者が常時(お寺の都合がつけば)いつでも予約なしで、絵解きをお聴きすることができます。

 その他でも行事の際、あるいは予約することで絵解きを聴くことができます。

 4月22日(土)~28日(金)にかけては、各寺院で絵解き・絵伝の一斉公開も計画しています。

(小林竜太郎)

 

 

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 まちなかで子育てしていて、気がついた不便なことの1つに、近所に「耳鼻咽喉科医院」がないことがあります。

 新田町の昭和通り沿いの荻野ビル(元ダイエーの立体駐車場)には、いまも「荻野耳鼻咽喉科」の看板があります。

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 やっていると思い、ある時行ってみましたが、既にこの荻野耳鼻咽喉科は、閉院していました。

 私には記憶がないのですが、90年代には東之門町にも、耳鼻咽喉科がありました。東之門町の伊勢社に上がっていくあたり、城山小学校前バス停の向かい側あたりに、「中島耳鼻咽喉科医院」がありました。

 
 そんな中、2015年3月に、三輪6丁目の長野大通り・淀ヶ橋交差点から東に200mほどの場所に、「野村耳鼻咽喉科医院」が開院したのは朗報です。以前にもこの場所には、野村医院(耳鼻科)があったので、復活です。
 ですから、善光寺界隈の方にとっては、比較的近くに、耳鼻咽喉科ができました。

 でも、長野駅近くの方にとっては、耳鼻咽喉科は引き続き、気軽に歩いて行ける近所にはない状態です。

 耳鼻科にかかわらず、お医者さんというのは、昔からずいぶん変化しています。昭和の住宅地図を見ながら、ここにもお医者があったのかと発見するのは、新鮮です。(いまは役に立たない情報ですが・・・)

 まちなかにクリニックが新たに開業しにくいのは、駐車場を設けにくいことや、家賃の高さもあるでしょう。
 でも、郊外からまちなかへの回帰が起こっていますし、バスや電車で通いやすい医療機関があってほしいものです。
 

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 2016年12月16日、ひとつの歴史が静かに終わりを迎えました。

 長野市街地と、善光寺から北の、桜坂・展望道路・七曲りを経由するバスルートがこの日をもって廃止されたのです。
 それによってアルピコ交通の、桜坂、雲上殿、花岡平、鍋石、新安、荒安、京田口、門沢口の計8つのバス停も廃止されました。

 市街地のバス停にはこんな掲示が ↓

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 もう最後は、この区間を走る長野市街地と飯綱経由で戸隠を結ぶバスは、土日祝日は全便が、平日も戸隠行き12本のうち午後1時以降の6本が、長野行き11本のうち11時以降の8本が、浅川ループ橋経由で運行されていました。

 桜坂・七曲りの周辺で乗り降りする人は、少なかったのかもしれません。カーブのきつい七曲りから浅川ループ橋経由にして運行上の安全を確保するのも、いたしかたないことではあるでしょう。

 でも、かつての戸隠へのメインルートからバスが姿を消すのは、寂しいことです。

 この区間からバスが消えることに、私は、もう1つの大きな時代の流れを感じます。

 それは、かつて善光寺の北側が、観光地として開発されてきた、その歴史にも1つの終止符が打たれたように感じるからです。

 展望道路ができたのは、戦前の昭和の大恐慌による、失業対策だったと言われています。
 戦後、善光寺雲上殿が完成。雲上殿の脇からは、地附山(ぢづきやま)の山頂を結ぶ「善光寺ロープウェー」が運行していた時期があり、乗り場には「善光寺ヘルスセンター」という施設もありました。郵便貯金会館だってできました。地附山の北側の斜面にはスキー場もありました。
 大峰山の山頂には、天守閣風の建物が建てられました。
 展望道路沿いには、歌が丘の歌碑も並んでいます。

 こうした場所は、車で巡るだけでなく、展望道路を走るバスもあって、それを利用して行楽に訪れた人たちもいたわけです。
 この区間のバスが廃止されたことで、ますます、それが遠い過去のことになってしまったように感じられます。

  鉄道の路線のように最後がマニアで大騒ぎになることもなく、静かにその役目を終えたバス停たち。長いこと、ありがとうございました!

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 10月10日(体育の日)、湯福神社で24年ぶりとなる御柱祭(御柱大祭)は、氏子たちの熱気のもと、見事に行われました。

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 往生地公園を出発して、坂を下る御柱。柱のすぐ近くで曳かせていただきながら、撮影。急坂で迫力満点でした。

 御柱祭は、信仰を体で感じることができる、素晴らしいお祭りです。


 長野郷土史研究会で調査したところ、長野市内では今年、湯福神社も入れて64もの神社で御柱祭が行われたことがわかりました。(機関誌『長野』305号)
 長野市が広しと言えども、64というのはたいへんな数で、諏訪大社のおひざ元の諏訪地域を除けば、数では最も御柱が盛んな地域が長野市です。

 長野市で御柱が盛んな理由は定かではありませんが、諏訪信仰が盛んであることには間違いありません。湯福神社も諏訪の神様をまつっています。

 また、中山間地に多いというのも特徴です。
 
 ただ、長野市らしいなと気がついたのは、長野市の場合、まちなか(街)に暮らす人が御柱祭にかかわっているということです。善光寺界隈でも、松代でもそうです。

 松本市でも上田市でも飯田市でも御柱祭は行われていますが、中心市街地の古い街の行事というわけではなさそうです。

 このことから、長野市の場合は、まちなかから山まで、御柱という文化を共有している地域だということがとても貴重です。

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 24年ぶりの開催となる10月10日(祝・月)の湯福神社御柱祭が迫り、まちでは、ポスターを見かけるようになりました。

 柱は2本です。一之柱は新町を8:30、二之柱は往生地を9:00に出発し、午後は玉井薬局前から一緒になり、14時に宮入りし、15時に建て御柱が行われる予定です。2本の柱の曳行ルートは、ポスター(画像)を拡大してご覧ください。

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 ↑クリックすると、拡大します。(うまく見えない方は、Internet Exploreの場合は、右クリック→「リンクを新しいタブで開く」)

 一之柱は善光寺の参道も通ります。9時ごろ仲見世通り、12時半ごろ大本願前を通る予定です。善光寺の参拝者も驚かれることでしょう。

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小林竜太郎の門前町・昔ものがたり

長野郷土史研究会青年部/光竜堂代表の小林竜太郎さんが、知ると門前生活が面白くなる歴史トピックスをご紹介。
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