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 10月10日(体育の日)、湯福神社で24年ぶりとなる御柱祭(御柱大祭)は、氏子たちの熱気のもと、見事に行われました。

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 往生地公園を出発して、坂を下る御柱。柱のすぐ近くで曳かせていただきながら、撮影。急坂で迫力満点でした。

 御柱祭は、信仰を体で感じることができる、素晴らしいお祭りです。


 長野郷土史研究会で調査したところ、長野市内では今年、湯福神社も入れて64もの神社で御柱祭が行われたことがわかりました。(機関誌『長野』305号)
 長野市が広しと言えども、64というのはたいへんな数で、諏訪大社のおひざ元の諏訪地域を除けば、数では最も御柱が盛んな地域が長野市です。

 長野市で御柱が盛んな理由は定かではありませんが、諏訪信仰が盛んであることには間違いありません。湯福神社も諏訪の神様をまつっています。

 また、中山間地に多いというのも特徴です。
 
 ただ、長野市らしいなと気がついたのは、長野市の場合、まちなか(街)に暮らす人が御柱祭にかかわっているということです。善光寺界隈でも、松代でもそうです。

 松本市でも上田市でも飯田市でも御柱祭は行われていますが、中心市街地の古い街の行事というわけではなさそうです。

 このことから、長野市の場合は、まちなかから山まで、御柱という文化を共有している地域だということがとても貴重です。

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 24年ぶりの開催となる10月10日(祝・月)の湯福神社御柱祭が迫り、まちでは、ポスターを見かけるようになりました。

 柱は2本です。一之柱は新町を8:30、二之柱は往生地を9:00に出発し、午後は玉井薬局前から一緒になり、14時に宮入りし、15時に建て御柱が行われる予定です。2本の柱の曳行ルートは、ポスター(画像)を拡大してご覧ください。

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 ↑クリックすると、拡大します。(うまく見えない方は、Internet Exploreの場合は、右クリック→「リンクを新しいタブで開く」)

 一之柱は善光寺の参道も通ります。9時ごろ仲見世通り、12時半ごろ大本願前を通る予定です。善光寺の参拝者も驚かれることでしょう。

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 来たる10月10日(月・祝)、湯福神社では24年ぶりとなる御柱祭が行われます。

 善光寺を守る三鎮守(さんちんじゅ)もしくは、善光寺三社と言われる神社があります。
 湯福神社、妻科神社、武井神社がその三鎮守、三社で、いずれの神社も御柱祭を行います。
 これに、健御名方富命彦神別(たけみなかたとみのみこと ひこかみわけ)神社を入れて、6年ごとに交替で御柱祭を行っています。


 前回に続き、2010年の武井神社御柱祭の様子を写真で紹介します。

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 こちらは、「二之柱」(柱は2本でした)

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 来たる10月10日(月・祝)、湯福(ゆぶく)神社では24年ぶりとなる御柱祭が行われます。

 なぜ24年ぶりなのでしょう。

 善光寺界隈の旧長野町では、「湯福神社」「健御名方富命彦神別(たけみなかたとみのみこと ひこかみわけ)神社」「妻科(つましな)神社」「武井(たけい)神社」の4社が順番で、7年目ごとに(6年に1度)御柱祭を交替で行っています。
 ですから、4×6年=24年ぶりなのです。
 ところが、実際には、事情により1度開催ができないことがあると、遅れますので、24年より間隔が開いてしまうこともあるのです。

 前回の湯福神社の御柱祭は24年前の1992年でしたが、次の湯福神社の御柱祭が24年後の2040年に行える確証はありません。
 いかに、今回の湯福神社の御柱祭が貴重かがわかります。

 町によっては、2つの神社の氏子になっていたり、そもそも「健御名方富命彦神別神社」は、湯福・妻科・武井神社の氏子がすべて氏子になっていることもあり、負担を考えて、このようなやり方が取り決められたのでしょう。


 24年前の湯福神社の御柱祭を私は見ていないので、前回6年前(2010年9月26日)の武井神社の御柱祭の写真を紹介します(いずれも、権堂アーケードで撮影しました)。

 馬や木遣りなどを先頭に、1日かけて氏子の町を御柱がめぐり、最後に神社の境内に建てます。

 10月10日に向けて、気持ちを盛り上げていくきっかけになれば幸いです。(小林竜太郎)


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 権堂のイトーヨーカドーの少し南側、「長野東宝中劇」という映画館の跡の一部で、新たに木造の居酒屋の新築工事が行われています。しばらく空き地だったのですが、ついに建物が建ちます。(全部ではなくて、跡地の一部は、コインパーキングです)

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 長野東宝中劇は、戦後の昭和23年(1948)に上映を始めた市営長野中央映画劇場が前身です。2007年4月に、惜しまれながら閉館しました。ここは、ドラえもんの上映館でしたから、とりわけ「この場所で子どもの頃初めて映画を観た!」と懐かしく思う長野市民も多いことでしょう。
 スタジオジブリの「となりのトロロ」「火垂るの墓」もここで上映されました。

 最終日の上映もやっぱり「ドラえもん」。私も最終上映に足を運び、「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~」を観たことを思い出します。

 閉館当時の様子
  小林玲子の善光寺表参道日記 来月閉館の「長野東宝中劇」


 権堂では、大型店を含む再開発計画が持ち上がっています。ここがその対象エリアになるのかどうかはわかりません。でも、まちに駐車場が増えて行く中、このような民間での新築工事は、とても貴重に思います。
 
 ところで、長野郷土史研究会青年部では、9月24日(土)に「まちなか 映画館と映画館跡めぐりツアー」を計画しています。16時に、中央通りの権堂アーケード西側入口(旧つづきや前)に集合。1時間程かけて、権堂や西鶴賀周辺を歩きます。(申し込み不要、参加費500円)
 
 もちろん、この中劇跡も行きますよ。
 権堂や西鶴賀には、長野東宝グランド、長野東映、長野映画劇場・長野ピカデリー、菊田劇場・長野商工会館(後のニュー商工)などの映画館もかつてありました。
 
 映画館を通して、長野のまちの記憶をたどることで、次のまちづくりへのヒントも得られるかもしれません。

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小林竜太郎の門前町・昔ものがたり

長野郷土史研究会青年部/光竜堂代表の小林竜太郎さんが、知ると門前生活が面白くなる歴史トピックスをご紹介。
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